記憶の記録

ジャニオタの定義を考える

まだ残っていたブログ

1年以上放置していたはてなブログにまだログイン出来た。

 

なんでいきなり探し出したかって

 

思いの丈をどこかにぶつけないと消化出来なかったから。

 

このブログはジャニオタ生活を書くためのものだったのに今まで特に吐き出すことがなかったらしい。

 

私は職場ではジャニオタを隠して生活しているからこんな時何かに向かわなければ

無理だ。

 

錦戸亮 脱退は辛すぎる。

 

もしかしたら、そんなこともあると思っていたけど信じたくない自分がいた。

 

「大切なお知らせ」が良い知らせだったことは高確率でない。

 

アイドルも人間だから悩むし、一生ファンのために生きてはくれないだろう。

それでも永遠を願ってしまう。

 

錦戸さんは自分の美学があって、それを貫き通す人。

他のメンバーとの温度差を感じる事が結構あった。

不器用な人だしすばるくんと似てる「気まずい」と言われる所以も何となく

理解出来た。

亮ちゃんとグループのバランスを保っていたのはすばるくんの存在だったんだろう。

メンバーも口にしていたグループ内のバランス。

バランスを取る人がいなくなってしまった事が大きいのかなと感じた。

他のメンバーがもう少し彼に歩みよったり軽口を叩くような関係なら違っていたのかな。

想像でしかないし、過去は変えられないのだけど。

 

こんな時ファンは何も出来ないと痛感する。

結局今を受け入れて生きるしかない。

未来でみんな笑っていてくれたらそれでいい。

私は7人の関ジャニ∞も、6人の関ジャニ∞も大好きだったし、たくさん笑顔にしてもらった。

ライブを楽しみに仕事も頑張れた。ありふれた表現だけどステージに立つ人には、

人を笑顔にするパワーがある。

 

亮ちゃん、なんて「ちゃん」づけは今まで恥ずかしくてあまり口にしたことないけど、

亮ちゃん、関ジャニ∞でいてくれてありがとう。

グループを抜けるということ

女子アイドルにおいては、もはや定番となった脱退や卒業。

 

どう違うんだ?というのも気にならないくらいのサイクルで行われているし、いつかはやって来ることとして覚悟している部分もある。

 

でもジャニーズに関しては、失礼ながら不祥事での脱退というイメージが強く、何か問題が起こらない限りグループから抜けることはないと思っていた。

 

だから、すばるの脱退は衝撃的だった。

最初は嘘だと思った。でも、すばるならあり得るとも思った。

 

そして結局、それは現実のものとなった。

 

一番強かったのは寂しいという感情。

怒りとか悲しみとかもあったけれど、関ジャニ∞を残して1人行ってしまうことが寂しかった。

 

人気絶頂、誰もが羨む、その立場になりたい人だってたくさんいるであろう地位を捨てる。

何で?という疑問しか湧いてこない。

 

でも、ファンにも感じ取れるくらいに彼は常に不安定さを抱えていて、何かに抗っていて、アイドルやりたくないんだろうなというのは滲み出ていた。

 

雨の長居、バースデーサプライズで妙子さんからの手紙。

「あの時、私がジャニーズに応募しなければ、」という内容からも、すばるのこれまでの苦悩は感じられた。

 

開き直ったように「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます!」と言う。

 それは肯定のようでいて否定だったのかもしれない。

 

 

ずっと、何か違うと思いながら過ごしていたのかなと。

アンバランスな感情を支えていたのは、メンバーの存在だったのか。

彼を引き留めていた一因がファンでもあってくれたら嬉しいのだけど。

 

 

今まで、関ジャニ∞でいてくれてありがとう。

すばるが引っ張って来た今のエイトの音楽の形がなければ、私のように他ジャンルからハマルような人も少なかったと思う。

 

これから先の景色にすばるが一緒にいないことが、想い出を共有出来ないことが、やっぱり寂しい。

彼の本当の心の内や葛藤を推し測ることは出来ないからファンはもう納得するしかないのだけれど、

いつかまた人前に出てきてくれる時には、これがやりたかったことなんだなって見せつけて欲しいと思う。

 

いちファンの我儘です。

GR8EST 名古屋を観て

なぜか名古屋へ行くことが定番になっている。

東京から一番近いから行きやすいという理由で、東京の他にとりあえず申し込む名古屋。

 

そして地元民ではないのに何故か名古屋を当選させる(させてくれる)コンサート事務局のおかげで22、23日の名古屋ドームに入った。

ネタバレ回避していたので真っ新な気持ちで見た。

 

私はこの公演で、必死とも思える歌い方をする錦戸さんを見て初めて「かっこいい」と思った。

気迫せまるものがあって圧倒された。

これまで男前だということは理解していたけれど自分のタイプでは全くなかったのであまり気にしたことがなかった(ごめんなさい)

でも、自分がグループを引っ張っていかなければと意気込んだらこんなにも変わるのかと。

しきりに、すばるくんファンを気にかけていたけれど、みんな分かっていてチケット買ってるんだから、そんなすまなそうな顔しなくてええんやで。と思ったよ。

 

ヒナちゃん最初から目が潤んでいた、泣きそうだった。

マジか!?と思った。

 

横山さんは心ここに在らずな感じで、いやこれはいつもなのかもしれないけど。

 

ヤスは元気そうに見えた。見せてくれていた。

 

感じたことは、やっぱり7人と6人では歌声が違うんだなってこと。

すばるくんの突き抜けるような、あの高い声がないとこんなにも違うのかと痛感した。

大好きだった大倉とすばるくんのハモがないことが物足りなかったし寂しかった。

 

でもズッコケで横山さんメインになった時に目が覚めた。

これは6人にならなかったら絶対になかった形だ!と。

失礼な話だけれど、横山さんがメインで歌うなんてこれまで絶対になかった展開。

大きな存在を失って、他のメンバーが全員スキルアップしている、しようとしているのが感じられて、めちゃくちゃに心打たれた。

 

関ジャム、モー娘。回で松岡女史は言った。

「全員がレベルアップしている」「目が離せない。」と。

 

これからの6人を見たいと思った。

 

ここで失速するグループじゃないと信じて、これからも応援したい。

オタク生活を記す

大人になってから関ジャニ∞の沼にハマって、抜けなくなってはや数年。

 

同じ内容なのに、昼夜公演2回とも行く意味が分からないと言っていた昔の自分は

もういません。

もはや、行くという選択肢しかない。

 

感情を突き動かしてくれるアイドルに日々感じたことを、オタクとして生きた証を残そうかなと思いました。

 

 

 

関ジャニ∞にハマるきっかけは、ジャニオタの友人達による斡旋活動。

仲良しの先輩がなぜか突如嵐にハマり、ジャニーズには無縁、所詮ロキノン厨と揶揄されるようなジャンルの音楽を好んで聴いていた私も夜な夜な開催されるDVD観賞会に参加。

 

すかさず他の推しグループのDVDも持ち込む生粋のジャニヲタ友人。

 

そして、何となく「ジャニーズだったら関ジャニが好きかな。」と言っていた私に

「チケット、あるよ。」の一言。

軽い気持ちで行ったドーム公演。

ジャニーズのライブを一生に一度でいいから見てみたいと言っていた私の夢はいとも簡単に現実となる。

「席は遠いからうちわ買わなくても大丈夫!」と超ドライな友人に、そういうもんなの?と思いながらもペンライトを購入。

「こ、これがペンライト!!」と感動に浸ったのも束の間。

 

メンバーめっちゃ動くやん…

 

バンド音楽にしか触れてこなかった私に、メンバーがトロッコに乗って動くというのは新鮮で

もはやどこを見て良いかわからず。

 

終演後の感想

 

「ちょっと、よく覚えてない。」

 

 

 

そこから、ガチ嵐ヲタの先輩に「名義が空いてるのにライブに行く資格ないよ!」と言われ(嵐ファン必死)

いつも友人にチケット取ってもらうの悪いなと、FCにも入会。

あれよあれよと抜け出せないところまで来てしまった。

うちわとペンライトを振る人生が待ってるなんて思いもしなかったね。

 

そんな、ジャニーズへの見識が増えた今も好きなジャニーズは未だ関ジャニ∞だけ。

 

理由を考えてみると、彼らを好きになったきっかけは音楽と面白さ。

当時は曲を1曲も知らなかったけれど、「この曲、良い曲だな。」と思う曲が何曲かあったことと、エイトレンジャーがはちゃめちゃに面白くて「何だこのジャニーズ!?」と思ったことを憶えているから、それがなかったらファンになってなかっただろうなと思う。

 

あとはジャニーズとは思えないバイタリティ。

彼らはキラキラのアイドルという面だけではなく、愚痴も下ネタも平気で口にする。

常に新しいことを考えている、ファンを楽しませてくれる、DVDの特典映像が盛りだくさんすぎる。

初回限定版がなぜか売り切れないほど出回る、イニシャルを見誤っているとしか思えぬテイチクとの二人三脚感。

(お陰様で過去作品の初回盤を購入でき、ますますハマる)

バンドのギャップ。

見た目だけではない人間味溢れるところも好きにならずにはいられなかった。

 

 

エイトも今では全国区になり、レーベルも変わり、歳も取った。

渋谷すばるが抜ける未来なんて、誰も想像しなかった。

 

 

これから先も何が起こるか分からないけれど、アイドルを好きになって日々の生活に潤いを与えてもらい、その存在に一喜一憂したことを忘れないでいたい。